【人間でも冬眠が可能に】DNAに隠された代謝能力

生物
出典:科学の開拓者

人間は冬眠できない生き物と考えられてきましたが、近年の研究で「実はその能力がDNAに隠されているのではないか」という可能性が示されています。マウスの実験では人工的に冬眠様状態を誘導することに成功し、医学や宇宙開発への応用が注目されています。本記事では、冬眠の仕組みから人類が冬眠できる未来までをわかりやすく解説します。

冬眠とは何か

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動物における冬眠の基本的な仕組み

冬眠とは、動物が寒冷な季節や食物が乏しい時期に、体の代謝機能を大幅に低下させて長期間活動を休止する生理現象です。リスやクマ、コウモリなど多くの哺乳類が冬眠を行い、外界の厳しい環境を乗り切ります。冬眠中の動物は体温・心拍数・呼吸数を劇的に下げ、エネルギー消費を最低限に抑えます。例えば、北極圏に生息するホッキョクジリスは冬眠時に体温が氷点下近くまで低下し、脳への血流は通常時の1割以下に減少します[1]。本来であれば酸素不足で深刻なダメージを受ける状況ですが、このリスは冬眠から目覚めても脳機能に支障がないほど、極限状態に耐えられるのです[2]。このように冬眠動物は低体温・低代謝の状態で数ヶ月を過ごし、過酷な冬を生き延びることができます。

エネルギー消費を抑えるための体の変化

冬眠中、動物の体にはエネルギー消費を抑えるため様々な変化が起こります。まず、脳の体温調節センターがいわば「サーモスタット」の設定温度を引き下げ、体温そのものを平常時より低いレベルに維持します。実験的に人工冬眠状態にしたマウスでは、通常37℃の体温設定値が約9℃も低くなることが確認されています[3]。体温低下に伴い心拍や呼吸もゆっくりとなり、全身への酸素供給とエネルギー消費を最小限にします。また冬眠に入る前に多くの脂肪を蓄え、冬眠中は蓄えた脂肪を少しずつ燃焼して生命を維持します[4]。このため長期間飲まず食わずでも生存が可能です。さらに冬眠動物の特筆すべき点として、長期間不活動でも筋肉や骨が萎縮しないことが挙げられます[5]。冬眠によって体内の分解・新陳代謝プロセス自体が遅くなるため、通常であれば運動不足で衰える筋肉や骨量が維持されるのです[6][7]。これらの生理変化により、冬眠動物は極限までエネルギーを節約して冬を越すことができます。

冬眠が持つ進化的な意味

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冬眠は生存戦略として進化の中で獲得された能力です。現在知られている冬眠する哺乳類は、リス(げっ歯目)、クマ(食肉目)、コウモリ(コウモリ目)など多岐にわたります。ヒトに近い霊長類でも、マダガスカルに生息するフトオコビトキツネザルが冬眠(正確には乾季の休眠)を行うことが確認されています[8]。一方で、同じ分類群でも冬眠する種としない種が混在しています。これは「冬眠」という性質が哺乳類の共通祖先にもともと備わっていた可能性を示唆しています[9]。氷河期など極度の環境変動を経ても生き残った哺乳類は、この冬眠能力によって冬の飢餓や寒さを凌いだと考えられます。実際、現代まで生存している哺乳類は過去の氷河期を乗り越えてきた種ばかりであり、人類にも冬眠できる機能が潜在的に備わっていても不思議ではないという指摘もあります[10]。興味深い研究例として、スペインのアタプエルカ遺跡で発見された約30万年前の人類の化石に、冬眠を行うクマ類の骨に似た成長停止線が認められたとの報告があります[11]。これは、その人類が冬の数ヶ月間は代謝を落として長い眠りに就いていた可能性を示唆するものです。以上のように、冬眠は進化的に見ても決して特殊な一部の動物だけの能力ではなく、哺乳類全体に埋め込まれた隠れた適応能力と言えるかもしれません。

人間に潜む「冬眠能力」の可能性

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遺伝子に残された進化の痕跡

では、人間にも冬眠の能力が眠っているのでしょうか。その手がかりの一つが遺伝子です。冬眠する霊長類(マダガスカルのキツネザル類)とヒトの遺伝子は約98%が共通しており、残りわずか2%の差異だけで「冬眠できる・できない」が決まっているとは考えにくいと専門家は指摘しています[12]。実際、冬眠動物の「超低代謝」能力は人間のDNAにも潜在している可能性が近年の研究で示唆されています。2025年には、冬眠する動物の持つ特殊な代謝調節能力がヒトのDNA中にも隠されているとの研究結果がScience誌に発表され、大きな注目を集めました[13]。この研究では、冬眠する哺乳類としない哺乳類のゲノムを比較し、冬眠能力に関連する遺伝的変化を探っています。その結果、冬眠動物で特徴的に見られる変化の多くは「新しい遺伝子の獲得」ではなく、もともと生物に備わった代謝制御の仕組みを解除する変化であることが示唆されました[14]。言い換えれば、人間など恒温動物では体温と代謝を狭い範囲で維持するよう遺伝的にロックがかかっているのに対し、冬眠可能な動物ではそのロックを外すことで柔軟な代謝調節を実現しているというのです[14]。この発見は、人類のDNAにも冬眠動物のような代謝能力の「スイッチ」が眠っており、進化の過程でそれがオフになっているだけかもしれないことを示しています。

ヒトにも冬眠を可能にする代謝スイッチが存在?

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では具体的に、人間の体には冬眠状態に切り替えるスイッチがあるのでしょうか。この疑問に答えるヒントとして、近年の冬眠研究の画期的な成果を紹介します。2018年、筑波大学などの研究グループはマウスの脳内に冬眠を誘導する神経回路を発見しました。視床下部の一部に存在する特定の神経細胞群(通称「Qニューロン」)を人工的に興奮させたところ、マウスの体温が平常の37℃から約20℃前後まで低下し、数日間にわたり代謝が著しく落ち込む冬眠様の状態に入ったのです[15][16]。本来マウスは冬眠しない動物ですが、脳のスイッチを入れることで疑似冬眠が可能になることが示されたわけです。このQニューロンは約1000個ほどの神経細胞からなり、おそらく全ての哺乳類が同様の神経回路を持っていると考えられています[17]。研究者は「マウスでできたのだから、ヒトを冬眠状態にすることも不可能ではない」と期待を寄せています[18]。つまり、人間にも眠っている「冬眠スイッチ」を起動できれば、人工的に低代謝状態へ誘導できる可能性があるのです。

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実際、極限状況下で人間が冬眠に近い状態になったのではないかと思われる事例も報告されています。2006年、兵庫県の六甲山で遭難した男性はほとんど飲まず食わずのまま24日間生存し、発見時には体温が約22℃にまで低下していたといいます[10]。またスウェーデンでは、雪に閉じ込められた車中で男性が2ヶ月間も飲食せずに生き延びていたケースも報告されています[10]。いずれも通常では考えられない長期間の低代謝生存であり、人間にも極端な環境下で冬眠様の防御反応が発動する可能性を示唆するものです。

他の哺乳類との比較研究から見える共通点

人間の中に眠る冬眠能力を探るため、他の哺乳類との比較研究も活発に行われています。最新のゲノム解析では、冬眠を行う哺乳類の間で共通して収斂進化したDNA配列が数多く見つかっています[19]。これらはタンパク質をコードしない非コード領域(遺伝子のスイッチ部分)であり、代謝や行動の大きな変化を引き起こす鍵と考えられています。興味深いことに、人間にも存在する肥満関連遺伝子FTOの座位付近に、冬眠動物特有の調節DNAが進化していることが判明しました[20]。冬眠動物ではこの領域が冬眠前の急速な脂肪蓄積と、冬眠中の代謝低下を制御しているとみられます[21]。実際、研究チームが冬眠動物特有のこれらDNA領域をマウスで削除する実験を行ったところ、マウスの体重増加のペースや低体温状態からの復帰能力、さらには全身の代謝率までも変化することが確認されました[22]。わずかなDNAスイッチを操作するだけで、エネルギー消費のあり方が大きく変わったのです。この結果は、冬眠の能力が遺伝子そのものではなく遺伝子の使い方(調節機構)に大きく依存していることを示唆しています[23][14]。つまり、人間と冬眠動物の遺伝的違いは「冬眠スイッチがオンになっているか否か」の違いであり、人間にもその共通基盤が潜んでいるという共通点が浮かび上がってきます。

科学的な研究の進展

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遺伝子解析による新しい発見

近年の研究は、人類の冬眠能力を遺伝子レベルで解明しつつあります。2025年には、冬眠するリスやコウモリなど複数種の遺伝情報を比較することで冬眠特有のDNAスイッチを特定した研究が発表されました[24]。この研究では、冬眠時に脳の視床下部で働く遺伝子調節要素(CRE: シス調節エレメント)が明らかにされ、それをマウスで操作することで冬眠様の代謝変化を再現することに成功しています[25][22]。これらの遺伝子解析の新発見により、ヒトの体にも眠る「冬眠プログラム」の一端が見えてきました。

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特筆すべきは、こうした冬眠メカニズムの解明が医学への応用につながり得る点です。冬眠動物は冬眠中に血糖値が上がったり認知機能が低下したりと、一見人間の2型糖尿病やアルツハイマー病に類似した状態になりますが、春に目覚めるとそれらの悪影響が完全にリセットされます[26][27]。研究者たちは、この冬眠動物の自己修復能力に注目しています。冬眠の分子メカニズムを応用できれば、人間でも糖尿病や神経変性疾患を冬眠からの「覚醒」に倣って劇的に改善できる可能性があるからです[28][29]。実際、前述の研究では冬眠動物の代謝柔軟性を高める遺伝子スイッチを解明したことで、将来的にそれを人間の治療に利用しうる展望が示されています[30]。このように、遺伝子解析から得られた新知見は、人類が冬眠能力を手にすることの意義を医学的にも裏付け始めています。

医学的応用の可能性(宇宙飛行・臓器保存など)

冬眠の仕組みを人間に応用できれば、様々な分野で画期的なメリットが期待できます。代表的な応用シーンとして、次のような例が挙げられます。

  • 救急医療:重篤な外傷による大量出血や心筋梗塞・脳卒中などで臓器が酸素不足に陥った際、直ちに患者を冬眠状態にできれば必要な酸素量を大幅に削減できます。低代謝状態では組織の損傷進行を遅らせられるため、治療までの貴重な時間を稼ぎ、救命率を向上させられると期待されています[31][32]。実際、人工呼吸器やECMO(人工肺)が不足するような状況でも、患者を人工冬眠させて酸素需要を極限まで減らせば生命維持が可能になるかもしれません[33]。冬眠技術は「時間との戦い」である救急医療に新たな武器をもたらすでしょう。
  • 移植臓器の保存:心臓や肝臓など移植用臓器の保存期間を延ばすために、冬眠の技術が応用される可能性もあります。低体温・低代謝状態に置くことで臓器の細胞活動を抑え、傷みや劣化を防ぐ狙いです。現在、再生医療の進歩により試験管内で臓器を作製する研究が進んでいますが、その臓器を長距離輸送したり長期間保存したりするには冬眠技術が鍵となるでしょう。実験的にも、全身ではなく特定の臓器だけを冬眠状態にする手法の研究が始まっています[34]。例えば心臓や脳の一部を一時的に低代謝にして保護することで、手術後の合併症リスクを下げるといった医学応用も考えられます。
  • 宇宙飛行:人類の宇宙開発においても冬眠技術への期待は大きく膨らんでいます。宇宙船で長期間の航行をする際、乗組員を冬眠させることができれば、食料・水・酸素などの消耗資材を大幅に削減できます[35][36]。例えば宇宙飛行士の体温を約30℃まで下げ冬眠状態にすることで、必要物資を半分程度にまで減らせるとの試算もあります[35][36]。さらに無重力空間では筋肉や骨が衰えますが、冬眠状態であれば筋萎縮や骨密度低下が起こらない可能性が指摘されています[6][7]。冬眠により心身のストレスも低減し、長期間の宇宙ミッションで問題となる孤独感や精神的負担にも対処できると考えられています[37]。このように冬眠技術は、火星有人探査の実現に向けた突破口として各国の宇宙機関が研究を進める重要テーマとなっています[38]

実験で見えてきた課題と制約

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人間を冬眠させる夢に近づきつつある一方で、実現に向けて解決すべき課題も明らかになってきました。まず、冬眠状態への安全な誘導法を確立する必要があります。現在マウスで行われているような特定神経への遺伝子操作や薬剤投与による方法は、そのまま人間には適用できません。人類に冬眠の神経回路が残っているかも未解明であり、脳全体を薬で眠らせる方法や全身の細胞に「冬眠せよ」と信号を送る物質の開発など、手法の模索段階にあります[39]。また、人で実験を行う前にサルなど大型哺乳類での検証が不可欠であり、倫理・安全両面から慎重に段階を踏む必要があります[40]。たとえ有望な薬や技術が見つかっても、霊長類で問題ないと確認されなければ人体への応用は許可されないでしょう[40]

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冬眠中の生理的リスクへの対策も課題です。冬眠中は体の様々な機能が低下するため、免疫系も大幅に抑制されてしまいます[41]。その結果、感染症に非常にかかりやすくなるというデメリットがあります[41]。実際、北米の冬眠コウモリは冬眠中に真菌感染症に罹り大量死する事例が報告されています[42]。人間でも冬眠状態では細菌やウイルスへの抵抗力が落ちると予想されるため、長期人工冬眠を実用化するには無菌環境の確保やワクチンの併用など入念な対策が欠かせません。また低体温による生体への影響も無視できません。体温が下がると血液が固まりにくくなり、出血が止まりにくくなることが知られています[43]。冬眠中の事故や手術では出血リスクが高まる可能性があるため、この点も注意が必要です。さらに、人間が長期間冬眠した場合に完全に元の状態へ復帰できるのかという不確定要素もあります。動物実験では、人工冬眠させたマウスが覚醒後に運動能力や記憶力に問題が生じなかったとの報告があります[44]。しかしヒトの場合、数か月にも及ぶ冬眠から覚めたとき脳神経や臓器の機能がどの程度回復するかは未知数です。リハビリテーションの必要性や、冬眠中に生じうる微細なダメージの有無など、今後の検証課題と言えるでしょう。

今後の展望と人類への影響

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宇宙開発における冬眠技術の活用

人類が冬眠能力を手にした暁には、そのインパクトは計り知れませんが、特に大きな飛躍が期待されているのが宇宙開発の分野です。実際、NASA(米国航空宇宙局)やESA(欧州宇宙機関)も宇宙飛行士の人工冬眠技術の研究に力を入れており、火星への有人飛行計画などで冬眠の応用が検討されています[38]。宇宙船の遠征では、乗員の生命維持に必要な食料・水・酸素や居住スペースをいかに削減するかが課題となります。冬眠技術はまさにその切り札であり、飛行士を冬眠させることでペイロード(積載物資)を劇的に減らせます。ある試算では、乗員の体温を約30℃に下げて半冬眠状態にすれば必要物資を半分にできるとされています[35][36]。これはより少ない燃料でより遠くまで旅することを可能にするでしょう。

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さらに冬眠は、宇宙空間での人体への悪影響を軽減する効果も期待されています。無重力環境では運動不足による筋肉の萎縮や骨密度の低下(いわゆる「廃用症候群」)が深刻な問題です。そのため宇宙飛行士は通常、宇宙船内で毎日トレーニングを行わねばなりません。しかし冬眠中であれば、地上で冬眠から覚めたリスがすぐに元気に走り回れるように、筋肉や骨が衰えないことが分かっています[6][7]。冬眠はあらゆる生理機能のスピードを落とすため、筋萎縮や骨量減少といった変化自体が起きなくなるからです[6]。したがって、冬眠状態で長期間の微小重力下を過ごしても、地球に戻って通常の生活に復帰しやすくなると考えられます。また心理的な利点も見逃せません。冬眠で意識レベルを下げて過ごすことで、長い宇宙航海に伴う孤独感やミッション遂行のプレッシャーといった強いストレスにも耐えやすくなるでしょう[37]。SFの中で描かれてきた「コールドスリープ(冬眠航宙)」の世界が、今や現実の計画として視野に入りつつあるのです。

最後に

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人類が自由に冬眠状態を扱えるようになれば、宇宙開発のみならず医療や社会の在り方にも大きな影響を与えるでしょう。寿命が延び、長い時間をかけた宇宙移民や深海探査も可能になるかもしれません。まだ解明すべき課題は残るものの、DNAに秘められたその「冬眠スイッチ」がオンになる日も、決して夢物語ではなくなりつつあります。人間の冬眠が実現する未来に向けて、私たちは着実に歩みを進めているのです。

本記事の総括

  • 冬眠は代謝を極端に抑える生理現象であり、哺乳類全般に共通する潜在能力が人間にも眠っている可能性がある。
  • 遺伝子解析やマウス実験により、人間にも冬眠を誘導できる「代謝スイッチ」が存在するかもしれないことが示唆されている。
  • 宇宙飛行や救急医療、臓器保存などへの応用が期待される一方、感染症リスクや覚醒後の安全性など課題も多い。

参考文献

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