なぜ未来人は現れないのでしょうか?今回はそんな疑問について、科学的な視点から考察したいと思います。
定義と前提:タイムトラベルをどう科学的に扱うか

「タイムトラベル」という言葉は日常的にもSF作品でも使われますが、科学的に議論するためにはまずそれを明確に定義し、現代物理学の前提に沿って整理する必要があります。タイムトラベルには大きく分けて未来への移動と過去への移動の2種類がありますが、この両者は物理法則の上で対称ではありません[1]。特殊相対性理論および一般相対性理論によると、「未来へ行く」タイムトラベルは実際に可能であり、我々は常に1秒につき1秒という速度で未来へ進んでいます[2]。さらに極端な例として、近光速で移動したり強い重力場に近づいたりすると、他の人より時間の進みが遅れる「ウラシマ効果」が生じ、結果的に未来へ飛ぶことができます。例えばブラックホールの近くに数時間滞在する間に地球上では1000年が過ぎる、といった極端なシナリオも理論上可能です[3]。実際に国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士は、地上の双子よりわずかに若くなりました。これは高速移動と重力の弱い環境で時間がわずかに遅れたためで、未来へのタイムトラベル(時間の遅延)が現実に観測された一例です[4]。

一方で「過去へ戻る」タイムトラベルは、はるかに困難で奇妙な問題を含みます。特殊相対論では光速以上の速度を出さない限り過去へ戻ることはできず、光速は絶対の「速度制限」です[5]。つまり特殊相対性理論の範囲内では過去へのタイムトラベルは許されません。しかし、一般相対性理論の枠組みでは閉じた時間的曲線(Closed Timelike Curve, CTC)と呼ばれる時空の解が存在し、これが理論上の「タイムマシン」に相当します[6]。例えば1949年に物理学者ゲーデルが見つけた宇宙論的解では、宇宙全体が回転している特殊な場合に時間が円環状につながり、過去に戻ることが可能になるというものがありました。また1970年代には無限に長い高速回転する円筒(ティプラーの円筒)を用いると時空がコルクスクリュー状にねじれて過去へ到達できるという理論的提案もなされています[7]。他にも極端に強い重力場を持つ回転黒洞(カーブラックホール)内部や、2本の高速移動する宇宙ひもがすれ違う場合など、一般相対論には過去へ行ける可能性を示唆する解がいくつか存在します。しかし、これらはいずれも極めて特殊かつ非現実的な状況であり、かつ後述するような深刻な問題点(因果矛盾など)を孕んでいます[1]。現時点で物理的に実現可能と考えられるタイムトラベルは、「時間の進み方を遅らせて未来へ行く」一方通行のみであり、「過去へ戻る」タイプは理論的には排除されていないものの、実験的証拠がないばかりか多数の理論的障壁に阻まれています。
未来行きと過去行きの違い:相対論が許すもの・許さないもの

上で述べたように、未来へのタイムトラベルと過去へのタイムトラベルは物理法則上まったく異なる扱いになります。未来行きに関しては、我々は普段意識しませんが常に経験している現象です。相対論的な効果を利用すれば、その速度を極端に速めることも可能です。例えば光速に極めて近い宇宙船で旅をして戻ってくれば、自分だけが周囲よりも未来へ進んでいる、いわゆる「双子のパラドックス」の状態になります。実際に地上で24時間経過する間に高速宇宙船内では数時間しか経っていないというような時の進み方の差は、GPS衛星の時計で補正が必要なほど現実の技術でも確認されています。このように未来へのタイムトラベル(時間の遅延)は因果律(後述)には反しないため、現代物理学の範囲内で認められた現象です。デイヴィッド・スコットやマーク・ケリーの双子の宇宙飛行士の実験では、宇宙滞在した兄スコットの方が地上にいた弟マークよりもわずかに時間の進みが遅れ若くなったことが報告されています[5]。この差は非常に微小ですが、理論の予言通りであり、未来への片道旅行はすでに実証済みと言えるのです。

これに対し過去行きのタイムトラベルは、光速の壁を破るか、時空自体を異常な形で歪めない限り不可能だと考えられます[5]。特殊相対性理論では時間と空間は四次元時空の中で相対的に統一されていますが、それでも光速という上限速度が原因で因果の順序(原因と結果の順番)はすべての慣性系で保たれます。もし仮に物質や情報を光速以上で伝送できれば、一部の慣性系から見るとその信号は「過去に届く」ように見えてしまいます。これは因果律への重大な挑戦であり、特殊相対論は一貫してこれを許しません。したがって過去へのタイムトラベルを実現するには、「光速を超える何か(超光速粒子タキオンなど)」や「時空構造自体の特殊な変形(ワームホールや閉じた時間的曲線)」が必要になります。一般相対性理論は後者の時空の特殊な形状として閉じた時間的曲線の存在を数学的に許容しています[6]。これは、ある時点から未来へ向かって進んでいったはずの観測者の軌道(世界線)が、時空の歪みによって再び自身の出発点(過去の時刻)に戻ってくるようなループを描くことを意味します[8]。このような閉じた時間的曲線が存在すれば理論上は過去に戻ることも可能ですが、重要なのはそれが現実の宇宙で形成できるかという点です。具体例としては前述したゲーデル解や、キップ・ソーンらが提案した「ワームホール型タイムマシン」があります。ソーンの提案では、一つのワームホールの端を光速に近い速度で移動させたり強重力下に置いたりしてから元の場所に戻すと、両端の時間の進み方がずれて「過去と未来をつなぐトンネル」になるとされました[9][10]。ただしこの場合でも、タイムマシンが作られたより前の過去には行けない(行けるのはワームホール生成後の時代まで)という理論上の制限があることが指摘されています[10][11]。加えて、この方法には後述する深刻な障害(必要な「特異物質」の存在や安定性の問題)があり、理論上は可能でも実際には作れそうにないというのが現在の主流な見解です[12][13]。
時空・因果・情報の基本概念:世界線と「情報は物理である」

タイムトラベルの問題を考える上で、時空・因果・情報という3つの基本概念を押さえておく必要があります。まず時空とは、時間と空間を統合した四次元の舞台であり、相対性理論では出来事(事象)はこの四次元座標で記述されます。物体や人の存在は時空内で一本の軌跡を描きますが、これを世界線と呼びます。通常の物質の世界線は時間座標が常に増加する、すなわち未来方向にしか進まない曲線です。他方、「過去へのタイムトラベル」とはこの世界線がループ状になって過去の一点に戻ることだと言い換えることができます。しかし我々の経験では、原因と結果の順序(因果律)は厳密に守られており、未来の出来事が現在や過去に影響を及ぼすことはありません。因果律は「過去から未来へ」という時間の矢のもとで成り立つ原則であり、閉じた時間的曲線はこの因果の流れに循環(ループ)を作ってしまうため、パラドックスが生じる余地を与えます。これが「タイムトラベルの逆行」が抱える根本的な問題です。後述するように、物理学者たちは因果律を守るために様々な原理や仮説(自己無撞着原理や時間順序保護仮説など)を提唱してきました。

次に情報の概念です。タイムトラベルの議論では、物質そのものだけでなく「情報」を過去に送ることも大きなテーマになります。情報とは例えばメッセージや観測結果など何らかの物理的状態のパターンであり、それ自体も物理法則に従います。現代の物理学・情報理論では「情報は物理である」という考え方が確立しています[14]。これは、情報の記録や消去には必ず物理的な実体とエネルギーの授受が伴うという意味です。ランドアーの原理によれば、1ビットの情報を消去するには最低でも $k_{\mathrm{B}} T \ln 2$ のエネルギー散逸(熱の発生)が不可避であり、情報処理と熱力学第二法則は不可分に結びついています[15]。簡単に言えば、情報を過去へ送ることは単なる数学上の操作ではなく、必ず物理的な担い手(例えば粒子や光子など)を介したエネルギー移動を伴うわけです。このことは、たとえ理論上タイムトラベルで過去にメッセージを送れる可能性があっても、それが現実に「割に合う」かどうか(莫大なエネルギーやリスクを必要とするかもしれない)という問題につながります。さらに、情報の取り扱いには量子力学的な制約も存在します。後述する量子論的な無通信定理は、量子もつれを使っても決して情報だけを瞬時に(つまり光速を超えて)伝えることはできないことを示しています[16]。また量子のノーコピー(複製禁止)原理は、未知の量子状態を完全に同一にコピーすることは不可能であると述べています[17]。これらの原理も、「情報が勝手に過去から現れたり未来に消えたりしない」という因果律を量子レベルでも守る役割を果たしています。総じて、タイムトラベルを科学的に論じるには時空の幾何学(世界線の曲率)と因果律(時間順序)および情報の物理性という3点を常に念頭に置く必要があります。以下のセクションでは、これらを踏まえてタイムトラベルに立ちはだかる様々な壁について詳しく見ていきます。
物理法則の壁:因果律と時間順序保護

タイムトラベル、特に過去へのタイムトラベルが抱える最大の問題の一つは因果律(カジュアリティ)の違反です。因果律とは「すべての結果には原因があり、その原因は結果より先(過去)に存在する」という原則です。過去へ行って何かを変えられるとしたら、この因果の鎖が乱れてしまいます。タイムトラベルのパラドックスとして有名なのは「祖父殺しのパラドックス」でしょう。これは過去に戻った人物が自分の祖父を若い頃に殺してしまったら、自分の存在理由が消えて矛盾が生じるというものです[18][19]。このような自己矛盾の問題に対して、物理学者たちはいくつかの解決策を模索してきました。その代表がノビコフの自己無撞着原理とホーキングの時間順序保護仮説です。
自己矛盾とノビコフ自己無撞着原理

ソ連の物理学者イゴール・ノビコフは、タイムトラベルによるパラドックスは実際には起こらないという原理を提唱しました。これを自己無撞着性原理と呼びます。「無撞着」とは「矛盾がない」という意味で、簡単に言えば「もしタイムトラベルが起きても歴史と矛盾するような出来事は絶対に起こせない」という考え方です[20]。ノビコフの原理によれば、時間遡行者がどんな行動を取ろうとしても、それは結局最初から歴史の中に組み込まれていた行動に過ぎず、現実の歴史と衝突することはあり得ません。例えば過去に戻って祖父を殺そうと銃を向けても、何らかの理由で失敗し、歴史上祖父は殺されない──その失敗すらも歴史の一部であった、というわけです。これは一見、自由意志を否定するようにも思えますが、ノビコフの主張は「過去はあくまで一つであり変えられない」という物理法則上の制約に過ぎません。

この自己無撞着原理を具体的に示す例として、タイムマシン中のビリヤード球の思考実験があります。ビリヤード球をタイムマシンに投げ込むとそれが過去に送り出され、過去の自分自身に衝突して軌道を変え、結果として未来にタイムマシンへ入れなくなる──これは典型的なパラドックスです。しかしノビコフらの解析によれば、この状況でも矛盾なく球が動く軌道解が存在します。すなわち、球は過去に戻って「自分自身」に当たるのではなくかすめて通り過ぎるため、結局タイムマシンに入る軌道が保たれる、という解です。こうした解を許すことでパラドックスは起きないことになります[21][22]。このように自己無撞着原理は、タイムトラベルが起きても歴史は自己矛盾を起こさず一貫性を保つという強い要請です。

哲学的には「運命は変えられない」ようにも聞こえますが、実際には「タイムトラベルできても起こることは全て起こるべくして起こっていた」というだけです。マサチューセッツ工科大学の哲学者アグスティン・ラヨは「過去はすでに過ぎ去ったもので、そこに行っても変化させることはできない。だからもし祖父が子供を持つまで生きたのなら、過去に戻っても結局祖父殺しには失敗するだろう」と述べています[23][24]。例えばタイムトラベラーが祖父に銃を向け引き金を引いても弾が外れたり銃が故障したりするかもしれません。あるいは途中で事故に遭って祖父のもとに辿り着けないかもしれません。要するに、「歴史を変えようとする試み」は何らかの凡庸な理由によって必ず失敗し、結果として歴史は一貫して保たれるというのです[25][26]。この考え方に基づけば、未来人が過去(我々の時代)に現れても史実を変えるような介入はできませんし、そもそも歴史上現れていないのだから今後も誰も来ない、ということになります。

実際、近年オーストラリアの研究者が行った数学的な解析でも「タイムトラベルはパラドックスなしに可能」という結果が示唆されています[27]。これはノビコフの自己無撞着原理を量的に裏付ける試みと言えます。もっとも、この原理はあくまで理論上のものであり、現時点でタイムトラベル自体が実現されていない以上、直接検証はできません。しかし理論的整合性を守るためには極めて魅力的な考え方であり、タイムトラベルが許されるなら歴史に矛盾は生じない形でしか起こり得ないだろう、と多くの物理学者は考えています[28]。
ホーキングの「時間順序保護仮説」と閉時間的曲線(CTC)

自己無撞着原理が「タイムトラベルが起きても矛盾しないように自然が調整してくれる」という立場なのに対し、もう一つの重要な見解は「そもそもタイムマシンなど自然は許さないだろう」という立場です。これを表明したのが、故スティーヴン・ホーキングによる時間順序保護仮説(Chronology Protection Conjecture)です[29]。ホーキングは1992年の論文で、「時間順序保護機関が存在しており、閉じた時間的曲線(CTC)は現実の宇宙には現れない。歴史家が安心していられるように宇宙はできている」という趣旨を述べました[29]。平たく言えば、「タイムマシン禁止法が宇宙にはあるのではないか」という提案です。

ホーキングがこの仮説に至った背景には、量子論と重力の相互作用があります。一般相対性理論だけを考えれば閉じた時間的曲線の解は存在し得ますが、それに量子力学的な効果を考慮すると、タイムマシンが生成する瞬間に莫大なエネルギーが発散して時空が乱れ、タイムマシン自体が破壊される可能性が指摘されました。ホーキングやキップ・ソーンらは、ワームホールを時間マシン化しようとすると内部を巡る真空の量子揺らぎ(仮想粒子)が無限大に増幅され、結局ワームホールが壊れてしまうという計算結果を示しています。このように、量子場の発散や未知の重力効果が「因果律の違反」を試みるときに阻止するのではないかというのが時間順序保護仮説の根拠です[30][31]。

また、ホーキングの仮説は「我々が未来人に観光客として押し寄せられていないことこそ時間旅行が不可能な証拠だ」という簡潔な経験的主張とも整合します[32]。実際、ホーキングは2009年にタイムトラベラーのためのパーティーを開催し(開催日時を事前には知らせず、後になって未来人向けに告知した)、誰も来なかったことを「ほら、だから過去へのタイムトラベルなどできないんだ」とユーモラスに語っています[33]。これは一種の実験でもあり、「時間順序保護仮説は正しいらしい」という大衆的な印象を与えました。

物理学的には、この仮説が真実かどうかは量子重力理論の完成を待つ必要があります。現在のところ、一般相対論と量子論を統合する完全な理論は存在せず、CTCの問題も未解決です。ホーキングの仮説は直感的で支持する声も多い一方、決定的な証明は得られていません。ただし、マット・ヴィッサーらの研究で示唆されたように、仮にタイムマシンを作ろうとワームホールの両端を近づけても強い量子場効果や重力反発が生じて近づけない(時間ループを形成できない)という結果[30]は、この仮説を部分的に裏付けています。また、別の視点では「宇宙検閲仮説」になぞらえて、「自然は特異な事態(裸の特異点やタイムマシン)を隠すのではなく未然に防ぐのだ」と考えることもできます。まとめると、ノビコフの原理がタイムトラベルを許しつつも歴史の整合性を保つのに対し、ホーキングの仮説はタイムトラベルそのものを物理法則が禁止するとします。いずれにせよ、因果律を守ることが最優先されるだろうという点では共通しています。現状では時間順序保護仮説が真である可能性が高く、未来人が現れないのは「そもそも誰も過去へ来れないから」なのかもしれません。タイムトラベルが許されるとしても、それは上記ノビコフ原理の下で極めて限られた自己完結型に限られるでしょう。実際、いまだ「未来から来た確かな訪問者」がいない以上、私たちはこの宇宙における因果律の強固さを実感し続けていると言えます。
宇宙論の制約:膨張宇宙・地平線・エネルギー条件

タイムトラベルの可能性を議論する際には、我々が住む宇宙全体の構造や法則にも目を向ける必要があります。宇宙はダイナミックに膨張しており、その結果として生じる地平線(ホライズン)という概念や、一般相対論におけるエネルギー条件という制約が、タイムトラベルに追加の制限を課しています。
可視宇宙と宇宙地平線:観測できる範囲の限界

まず、宇宙の膨張についておさらいしましょう。我々の宇宙は約138億年前に始まったとされ、現在も膨張を続けています[34]。この膨張により、遠くの銀河ほど高速で我々から遠ざかっており、ある距離を超えると光ですら永遠に届かなくなる「宇宙の地平線」が存在します[35]。観測可能な宇宙の半径はおよそ465億光年と見積もられていますが、これは光がビッグバン以降に到達できた範囲に過ぎず、それより遠方には我々から情報が届かない領域があります[35]。この境界は物理的な壁ではなく、因果的な地平線です[35]。つまり、地平線の向こう側で何か出来事が起きても、それは光の速度の制限ゆえに将来永劫我々に影響を及ぼすことができないのです。

この地平線の存在は、タイムトラベルに直接的な影響を与えるわけではありませんが、「どこまで過去・未来と通信・往来できるか」という問いには関係してきます。仮に未来でタイムトラベル技術が生まれたとしても、宇宙の膨張が進めばその未来人が属する文明圏(銀河団)は我々から見て地平線の彼方に去っている可能性があります。宇宙膨張が加速している現在のΛCDMモデルでは、遠方の銀河は将来次々と視界から消えていき、数千億年後には局所銀河群以外何も観測できなくなると予想されています[36]。要するに、時空間の距離が広がりすぎると、たとえ時間移動ができても空間的に到達不能となる事態が考えられるのです。極端な例を言えば、500億年後の未来人がタイムマシンで過去に来ようとしても、すでに地球も太陽系も解体し銀河も遠方へ去った後では「来たくても来れない」でしょう。地平線は一種の通信・移動の限界を与え、タイムトラベルを議論する際にも無視できない境界条件となります。また、宇宙論的視点では時間逆行にも明確な制限があります。ビッグバン以前に遡ることは物理的に意味を持たない(現在の物理法則では時間はビッグバンから定義される)ですし、タイムマシンが仮にあってもその装置が存在する時代より前には戻れないという前述の制限も、宇宙全体に敷衍すれば「宇宙が生まれる前には行けない」という当たり前の事実になります。ビッグバン直後のインフレーション期には時空そのものが極端に歪んでいたため、因果関係が通常とは異なる振る舞いをしたかもしれません。しかしそれはタイムトラベルというより、むしろ「始まりの特殊性」に起因するもので、安定した過去への道とは言えません。

さらに、時間旅行で空間座標をどう扱うかという技術的問題も重要です。地球は1時間で約10万キロも宇宙空間を移動し、公転・銀河回転・宇宙膨張を合わせれば過去と現在で位置が大きくずれています。仮に1時間過去へ飛ぶタイムマシンがあったとして、その際に空間的な移動を補償しなければ、ユーザは真空の宇宙空間に放り出されてしまうでしょう。この点もタイムトラベルの工学的な難題ですが、宇宙論的な視野で見ると、過去・未来の正確な空間座標を指定して移動することの困難さを示しています。まとめると、宇宙論の制約としては(1) 観測可能宇宙には地平線があり、遠未来や遠過去の存在と相互作用できる範囲には限界があること、(2) ビッグバンという始点があるため無制限に過去へ遡れないこと、(3) 空間の補正問題を含めて時間と空間は不可分であり、タイムトラベルには必ず空間移動も伴うこと、が挙げられます。未来人が現れない理由として「宇宙が広すぎて来られない」というのは直接的ではないかもしれませんが、少なくとも「宇宙のどこかでタイムトラベル技術が生まれても、それが我々に影響するとは限らない」という示唆にはなります。宇宙は一枚岩ではなく、膨張する時空によって区切られた島宇宙的な側面を持つため、タイムトラベルの議論もそのスケールで慎重に考えねばなりません。
ワームホールとエネルギー条件:特異物質は実在するのか

過去へのタイムトラベルの物理的実現性を語る際、必ず登場するのがワームホールです。ワームホールとは時空の二点間をつなぐトンネルのような仮想的構造で、一般相対性理論の数少ない希望的観測の一つです。キップ・ソーンとマイク・モリスは1988年に、十分に発達した技術があれば人が通れるワームホール(モリス=ソーン型ワームホール)を作り出すことも否定はできない、とする論文を発表しました。しかしこの論文でさえ、ワームホールを安定に維持するには「エキゾチック物質(負のエネルギー密度を持つ物質)」が必要であるという重大な留保条件を付けていました[37][38]。この「エネルギーが負」という性質は、通常の物質やエネルギーでは考えられない異質なものです。一般相対性理論では通常、エネルギー・運動量テンソルは各種のエネルギー条件を満たすと仮定されます。例えば弱エネルギー条件は「任意の観測者にとってエネルギー密度は非負である」というもので、常識的には真に思えます。しかしワームホールを通り抜け可能(トラバーサブル)にするにはこの条件を破る負エネルギー領域が必要なのです[39][40]。

ではそのようなエキゾチック物質は存在するのでしょうか?理論的にはカシミール効果など、量子真空の現象として負のエネルギー密度が生じ得ることが知られています[38]。カシミール効果では平行な金属板の間の真空エネルギーが外側より低くなり、板同士が引き寄せ合います。これは「真空の状態のエネルギーが基準より負になっている」と解釈できます。しかしこれは極微小な効果であり、板間隙に生じる負エネルギー密度は極めて小さく、ごく短時間しか維持できません。また、量子フィールド理論には量子不等式(Quantum Inequality)と呼ばれる制限があり、負のエネルギー密度はあってもその大きさと持続時間には厳しい上限があります[41]。簡単に言えば、「ちょっとだけなら負エネルギーは可能だが、大量に長時間は出せない」のです。

科学者たちは「果たしてワームホール維持に足るエキゾチック物質を用意できるか?」を長年議論してきました。結論としては、現時点ではノーでしょう。ゴウルドら初期の推計では、人が通れるサイズのワームホールには木星数個分の質量に相当する負エネルギーが必要だという結果がありました[42]。後の研究では条件を緩和できる可能性も示唆されましたが、それでも相当量のエキゾチック物質なしには不安定なトンネルはすぐ潰れてしまいます[43]。ところが我々が実験室で作り出せる負エネルギーはせいぜいカシミール効果の微小なものに過ぎません。例えば、真空中に置いた二枚の金属板間の引力で示される負のエネルギーは観測こそ可能なものの、ごく短い距離と時間範囲でしか存在しません。これではワームホールの「入り口」を開いたまま維持するどころか、量子レベルの隙間を瞬間的に作る程度が関の山です。現にモリス=ソーンの論文以降、エキゾチック物質の実在性がタイムマシン議論のボトルネックになっており、「もし負エネルギーを大量に扱えるような未知の物理がない限り、時空トンネルは夢物語に過ぎない」と言われ続けています。近年になって、量子重力的な視点から「エキゾチック物質なしでも極小のワームホールが存在し得る」という理論計算も報告されています[44]。例えば半古典的なアプローチでは、フェルミオン(スピン1/2粒子)によって満たされたワームホール解では負のエネルギー無しで安定な構造が可能であるという論文が出されました[45][46]。しかしそのようなワームホールはプランク長($10^{-35}$m)オーダーという極小サイズで、通信どころか光子すら通せないものです[47]。人間が通れるどころか、情報信号として意味あるものを送るにも小さすぎます。結局のところ、大きなワームホールには大きな代償(エキゾチック物質)が必要という原則は崩れていません。

モリス=ソーン型ワームホールが要求するエネルギー条件の違反は、現代物理学ではきわめて異例のものです。そのため一部の物理学者は「そんなものが実現する宇宙なら、とっくに真空の不安定性など何らかの矛盾が露呈しているはずだ」と考えます。言い換えれば、「エキゾチック物質が存在しない(あるいは極微量しか存在しない)から未来人はワームホールで来訪できない」という極めて直接的な理由も成り立つのです。実際、我々はこれまでに負の質量やエネルギーを持つ未知の粒子や物質を一切観測していません[48][49]。ホーキングも「負のエネルギーの物質なんて誰も見つけていないし、そもそも存在しないだろう」と述べています[48]。従って、タイムトラベルを可能にする装置に不可欠とされる要素が現実には欠けている、というのが宇宙論・相対論的な制約の結論になります。以上をまとめると、ワームホール的タイムマシンの構想は宇宙論的・物理的な難題の塊です。宇宙は膨張し果てしなく広がっており、たとえ技術があっても広大な時空の壁を越えるのは容易でないでしょう。また、もし壁を越えようとしてもエネルギー条件という物理法則の壁に阻まれます。未来人が現れないのは、彼らが来たくないからではなく来られない(物理的に道がない)からかもしれません。その道を開くには、我々がまだ見ぬ新たな物理学の扉を開ける必要があるのです。
情報理論の制約:情報は熱力学と量子に縛られる

タイムトラベルの議論では、物質的な移動だけでなく情報の伝達にも注目が集まります。未来からの訪問者が現れなくとも、未来からのメッセージ(例えば宝くじの当選番号や、株価の動きなど)が届いたら、それも一種のタイムトラベルと言えるでしょう。しかし情報のタイムトラベルには、熱力学や量子力学からの厳しい制約が課されています。このセクションでは、情報理論的な観点からタイムトラベルの困難さを考えます。
ベケンシュタイン限界とホログラフィー的視点

物理学と情報理論が交わる代表的な概念にベケンシュタイン限界があります。ベケンシュタイン限界とは、ある有限のエネルギーと体積を持つ領域に格納できる情報(またはエントロピー)の上限を与えるものです[50]。例えば半径$R$・エネルギー$E$の球領域に記録できる情報量は最大で$\frac{2\pi R E}{\hbar c \ln 2}$ビットになる、という具体的な不等式で表されます[51]。これは直感的には、「無限に多くの情報を詰め込むことはできない」という当たり前の事実を極限まで洗練して定式化したものです。ベケンシュタイン限界はブラックホールの熱力学から着想を得ており、ブラックホールの持つエントロピー(ベケンシュタイン=ホーキングエントロピー)は事実上この限界を飽和するものだと考えられています[52]。

この考え方をタイムトラベルに応用すると、次のような洞察が得られます。もしタイムトラベルが自由にできて過去へ大量の情報を送れるなら、同じ情報を何度も過去に送り蓄積することで情報量を倍々に増幅できてしまうのではないか、という疑問です。例えば、自分が持つ1TBのハードディスクを過去の自分に渡し、さらにそれを過去の過去の自分に渡し…と繰り返せば、一人の人間が非常に短時間で莫大な情報を集めることが可能になります。しかしベケンシュタイン限界に照らせば、有限のエネルギーを持つ人間(とハードディスク)が保持できる情報には上限があります。時間旅行を悪用してその上限を超える情報を一箇所に詰め込もうとすると、何らかの物理的破綻(例えばブラックホール化)が起こると予想されます。つまり、情報の無限増殖は起こらないよう宇宙はできているはずなのです。これは情報版の「時間順序保護機関」とでも言うべき考え方で、ベケンシュタイン限界やブラックホールの情報理論が示唆するところです。

関連して、ホログラフィック原理も重要です。ホログラフィック原理とは、空間の体積内の情報はその境界面(2次元)に比例して上限が定まるという考え方です。ブラックホールのエントロピーが事象の地平面の面積に比例することから得られた洞察で、宇宙はまるで巨大なホログラムのように3次元の情報が2次元に投影されているかのようだ、というものです[53](参考までに、この考えは現代の弦理論や量子重力研究でも中心的なテーマです)。ホログラフィック原理を敷衍すれば、宇宙全体で格納できる情報も有限であり、かつ時空領域の境界条件によって決まることになります。過去や未来から情報を持ち込んで現在に付け足すことは、「本来存在し得ない情報」を宇宙に追加挿入する行為とも見なせます。それが許されるか否かは未解明ですが、少なくとも現代物理学の範囲では情報保存則(量子力学のユニタリティ)が強く支持されています。ブラックホールでさえ最終的には保持した情報をホーキング輻射として放出する(情報は失われない)というのが現在有力な説です。そう考えると、時間を通じて情報が勝手に増減することも無いよう自然は帳尻を合わせている可能性があります。こうした熱力学・情報論的な制約は直接「未来人が来ない理由」に結び付くわけではありませんが、「仮に過去と未来で情報をやりとりできるとしても、その量や質は厳しく制限されるだろう」という示唆を与えます。簡単に未来から知識を得て大儲け…などという甘い話は、情報の物理法則が許さないのかもしれません。
ランダウアー原理と計算複雑性:タイムメールは割に合うか

ランドアウアーの原理については前述しましたが、これは「情報の消去には必ずエネルギーコストが伴う」というものでした[15]。この原理を拡張して考えると、情報処理そのものにも不可避のエネルギー・時間コストがあることになります。では、タイムトラベルがそれを打破することはできるのでしょうか?よくあるSF的発想として「未来から答えを教えてもらえば計算しなくて済む」というものがあります。例えば非常に難しい数学問題を解きたいとき、未来の自分が解を計算し終えていたら、それを過去の自分に教えれば計算を省略できます。しかし注意すべきは、未来の自分は結局一度はその計算を完了していなければならないという点です[54]。過去の自分に答えを渡してしまうと、未来の自分は「最初から答えを知っていた」ことになり、一見計算がスキップできたように思えます。しかしランドアウアーの原理や熱力学第二法則の観点からは、計算という不可逆過程をどこかで実行した事実は消えません。スコット・アーロンソンはこの状況を「クレジットカードで買い物をして、支払い請求書が来ないと思い込んでいるようなものだ」と表現しました[55]。つまり、因果の帳尻は合わせられるので、計算量を踏み倒すことはできないというわけです。

閉じた時間曲線(CTC)を使うと計算が高速化できるか、という理論研究もあります。有名な結果として、CTCを用いる計算機はNP完全問題を多項式時間で解ける(NP⊆P_CTC)という主張があります[56]。一見すると「時間旅行を利用すれば計算は何でも早く解ける」ように思えますが、詳細を詰めると問題があります。アーロンソンによれば、時間ループを使った計算は確かに非現実的な速さを提供するように見えるものの、それでも計算そのものを実行するプロセスは避けられません[54]。例えば「1時間計算してタイムマシンで1時間前に戻り、また1時間計算して…を繰り返せば膨大な計算ができる」というアイデアがあります。しかしこれも、繰り返すごとに計算結果をきちんと保存・リセットするなどの処理が要り、無制限に加速できるわけではないことが示されています(実際、CTC下の計算機モデルは古典的計算でPSPACEというクラスに匹敵する能力に留まるとされます)。ここで要点は、タイムトラベルは因果律に縛られるだけでなく、計算論的な制約にも縛られるということです。未来から答えを持ってくるには誰かがそれを計算済みである必要があり、その計算にはエネルギーと時間が必要です。仮に未来のスーパーAIが高度な知識を過去に送ってくれたとしても、そのAIは膨大な計算資源を費やして答えを得ているのであり、そのコストは宇宙全体で支払われています。タイムメール一通送るにも、そのメールを作成するエントロピー増大は不可避です。

別の観点では、Bremermannの限界というものもあります。これは1kgの物質が1秒間に処理できる情報量の上限で、光速やプランク定数などによって決まります[57]。たとえタイムトラベルがあっても物理法則が変わるわけではないので、計算資源の基本限界は同じです。極論すれば、未来から無限の計算結果を持ち帰ってくることは、有限の計算能力しかない世界では矛盾を来します。したがって未来人が親切にも高度な知識を置いていってくれる…というようなことも、その情報量に実は厳しい制約があるでしょう。総じて、「タイムメール」が割に合うかどうかは疑問です。確かに未来の知識で利益を得るという誘惑はありますが、その情報を準備するコストや、情報をやりとりする物理的制約を考えると、容易にはいきません。情報理論と計算理論の視点からは、未来からただで情報をもらうことなどできないように世界はできている可能性が高いのです。このことも、未来人(あるいは未来からの通信)が我々の前に現れない一因かもしれません。
無通信定理と量子クローン禁止:量子は“ズル”を許さない

最後に量子情報の観点から、タイムトラベル(特に情報伝達)の制約を見てみます。量子力学には無通信定理および非局所性の問題があります。無通信定理とは、量子もつれを利用しても古典的な情報を光速を超えて伝えることはできない、という定理です[16]。例えばエンタングルメント(量子もつれ)状態にある粒子の一方を遠く過去の自分に送っておき、未来の自分がもう一方に操作を加えることで過去の自分に信号を送ろう…というSF的シナリオを考えます。しかし無通信定理によれば、片方の粒子を測定してもランダムな結果しか得られず、相手がどんな操作をしたか知る手段はありません[58]。要は、エンタングルメントという不思議な関連性はあっても、それを使って自在にメッセージを送ることはできないのです。この制限は、量子力学が相対論と両立するために非常に重要な役割を果たしています。もし無通信定理が破られると、瞬時通信ひいては過去への信号送信が可能になってしまい、因果律が危うくなります。幸いなことに、実験でも今のところ無通信定理の破れは確認されていません。

関連して量子のノーコピー定理(クローン禁止定理)もタイムトラベルに影響します[17]。ノーコピー定理とは、未知の量子状態を完全に同じにコピーすることは不可能という原理です。これは量子力学の線形性とユニタリティから導かれる基本結果で、例えば電子の正確な状態をまるごと複製するような「量子コピー機」は作れません。この原理があるおかげで、量子暗号通信の盗聴が検知できるなどのメリットもありますが、タイムトラベルの観点では「未来から情報(たとえば量子状態)を持ってきて過去の自分に渡す」ことに妙な影響を与える可能性があります。もし未来から量子的な情報を持ち帰ったとしたら、それは元の時点から見れば突然出現した新しい量子状態です。量子情報は複製禁止なので、一つの状態は一つしか存在できず、過去と未来で同じ状態が二重に存在することはありません。つまり、未来から持ち帰るという行為自体が、ある種のコピーのような矛盾を生む恐れがあります。

興味深いことに、マーク・ワイルドらの研究では「閉じた時間的曲線が存在すれば量子のノーコピー定理を破れる可能性がある」ことが指摘されています[59]。デイヴィッド・ドイッチュのCTCモデルでは自己無撞着性を満たす形で量子状態を過去に送り込む枠組みが提案されましたが、それによれば本来コピーできない量子情報が時間ループを通じて複製可能になるシナリオもあるのです[59][60]。しかしこれは裏を返せば、CTCが実現すると量子力学の基本原理が破綻するとも言えます。量子論を頑強に守る立場からは、「そんなCTCは現実には存在しないだろう」と考えるのが自然でしょう。以上を総合すると、量子レベルでも「ズルはできない」ようになっています。エンタングルメントを使って過去に情報を送る裏技もダメ、量子状態をこっそり複製して持ち帰るのもダメ、と量子法則はタイムトラベル的ショートカットを悉く禁止します。これらはすべて因果律や情報の整合性を守る方向に働くものです。したがって、未来人が量子的テクノロジーで隠れて我々に干渉している、といった陰謀論的シナリオは少なくとも物理的には説得力がありません。量子の振る舞いは、SF的願望を許さないほど厳格でロジカルなのです。
工学的現実:必要エネルギー・材料・安定性のハードル

ここまで、物理法則や宇宙論、情報理論と様々な観点からタイムトラベルの困難さを見てきました。最後に、より直接的な工学的観点からタイムトラベル実現のハードルを整理します。たとえ理論的に可能性が残されていても、必要なエネルギーや材料、そして安定性の問題から実際には全く歯が立たない、というケースも多々あります。未来人が現れない理由として、「技術的に作れないから」という極めてシンプルな要因も忘れてはなりません。
モリス=ソーン型ワームホールの成立条件

タイムマシンの工学的アプローチとして最も有名なのがワームホール型タイムマシンです。1988年にキップ・ソーンとマイク・モリスは、仮想的な超技術文明がどのように時空トンネルを構築できるか詳細に検討しました。その結論は、「理論的にはトラバーサブル(通り抜け可能)なワームホールを作れるかもしれないが、そのためには常識では考えられない物質と条件が要る」というものでした[37]。まず先述の通り、ワームホールを開き維持するにはエキゾチック物質(負エネルギー密度を持つ物質)が必要不可欠です[39]。通常の物質(例えばガスやプラズマ)では、ワームホールの喉部分は自重で瞬時に閉じてしまいます。重力に対抗して喉を押し広げておくには、重力と逆向きに働く負のエネルギーが必要なのです。ソーンらはワームホールの入口付近に負の張力(張り裂けるような斥力)を持つシェルを設置する想定をしています[61]。これが事実上、特殊な物質でできた球殻でワームホールの穴を覆うという設計です[61]。このような構造があれば、喉が維持され人や船が通れるトンネルができるかもしれないというのです。モリス=ソーン型ワームホールでは更に、「人が通る際に致命的な潮汐力がかからないよう、時空の幾何を特別に滑らかにする」などの設計上の工夫も盛り込まれています。要するに、人道的なワームホールを作るには徹頭徹尾エキゾチック物質の助けが必要という結論でした。

その後の研究でも、ワームホールを安定化させるための条件は繰り返し検討されています。一部の改良理論では「エキゾチック物質の必要量を減らせるかもしれない」と示唆されましたが、それでもゼロにはなりません。2018年のいくつかの論文では、量子効果を考慮したワームホールでは負エネルギー無しで極小サイズのものが可能という結果が出ました[44]。しかし、そのサイズはナノどころかプランクスケール($10^{-35}$mオーダー)であり、通信にも使えません[47]。仮にそうした超微視的ワームホールが自然に存在していても、それは素粒子や量子真空の揺らぎとして観測されるか否かというレベルです。人類が乗り物として利用するにはほど遠いでしょう。

もう一つの工学的障壁は膨大なエネルギーです。タイムマシンを作るにはどれほどのエネルギーが要るのか?ワームホール型で言えば、質量に換算して木星級という驚くべき見積もりがあります[42]。つまり、負のエネルギーとは言っても絶対値では巨大で、木星の数倍もの質量エネルギーを負の形で用意しなければならないというのです[42]。これは現在の人類が扱うエネルギー規模(核兵器や大型粒子加速器でもせいぜい太陽エネルギーの一部)を遥かに凌駕しています。さらに、それだけのエネルギーを負の形で保持するための方法も不明です。カシミール効果で得られる負エネルギー量は微小ですから、それを億兆倍にスケールアップする技術など想像できません。安定性の問題も深刻です。もしワームホールを開いても、宇宙線や真空揺らぎが入り込んだ際にそれが自己増殖して喉を破壊する懸念があります。これはホーキングが指摘した量子発散の問題に関連しますが、工学的に見ると「ほんの僅かなノイズや熱運動でさえタイムマシンは壊れる可能性がある」ということです。極低温・高真空かつ強力な制御場を維持し、外界からのどんな粒子の進入も防がねば安全に運用できないでしょう。そんなデリケートな装置を、人が通れる大きさで作るのは至難の業です。

別のタイムマシン案としては、莫大な回転エネルギーを持つ物体(例:長大な回転円筒や超高速で接近する宇宙ひもペア)を使う方法もあります。しかしどちらも要求水準はやはり現実離れしています。長さが無限に近い超高密度の円筒を光速近く回転させる技術など、SFの中でも極めて高度な部類でしょう。またそのような円筒を安定して維持する材料もありません。宇宙ひもに至っては存在自体未確認です。現代の技術水準から言えば、タイムマシンを作るにはあまりに「桁違い」のものが必要なのです。エネルギー規模、物質の特性、制御精度、いずれも我々の延長線上にはありません。未来人が現れないもっとも単純な説明は、「彼らでさえそれを実現する技術を持っていないから」かもしれません。よく考えてみれば、我々自身100年前の人々が夢見た空飛ぶ車や人型ロボットを未だ実現できていないように、未来の人類とて物理法則が許さぬものには手が届かない可能性は十分あります。タイムマシンは、もしかすると永久機関や絶対零度到達と同じくらい、「理論的に禁止されない範囲でギリギリ可能性があるが、実際には限りなく不可能に近い技術」の代表なのかもしれません。
負のエネルギーとカシミール効果の現実的上限

前節と重複する部分もありますが、特に負のエネルギーに焦点を当てた工学的課題を整理します。負のエネルギーとは直感的に「エネルギーを取り出せる(ダウンヒルな)状態」です。カシミール効果はその代表例で、二枚の平行金属板を真空中で近接させると、量子真空の状態エネルギーが低下し板が引き合う現象です[38]。このエネルギー低下分が負のエネルギーと見做せますが、数値的には極めて小さいものです。たとえば板間に1平方メートルの面積で1ナノメートルの隙間を作ったとして、そこに蓄えられる負のエネルギーは10^-7ジュール程度という試算があります。これは日常的なエネルギー単位(1ジュールは100gの物体を高さ1m持ち上げる仕事)からすると無視できるほど小さい値です。

現在の実験技術では、このような微少な負エネルギー効果を検出するのが精一杯です。大型のカシミール実験装置でも、得られる負圧力は1気圧の10億分の1以下というオーダーです。これではワームホール維持に必要な10^30 Pa(推定)には遥か及びません。さらに負エネルギーの発生にはその反作用としてどこかに同等の正のエネルギーが必要です。カシミール配置でも、板を設置したり支えたりするのにエネルギーを投入しています。全体系でエネルギー収支を見れば、負の部分と正の部分が相殺されて帳尻が合うようになっています。つまり、負のエネルギーだけ取り出すことはできないのです。

量子不等式(あるいはフォード・ロマンの不等式)に話を戻すと、これは「ある観測者が短時間観測できる負エネルギー密度の総量には厳しい上限がある」というものです[41]。例えば、より大きな負エネルギー密度を得ようとするとその持続時間がますます短くなり、一瞬の尖ったパルスのようになってしまいます。ワームホールの喉を安定させるには継続的な負圧が必要ですが、量子不等式的には長時間に渡り大きな負エネルギーを同じ場所に留めておくことは難しいでしょう。仮に何らかの方法で負エネルギーを貯めこもうとすると、今度は真空が不安定化して正のエネルギーの反動(例えば粒子生成)が起きるかもしれません。これも自然が因果律を破らせないための防御機構の一つと考えられます。

工学的視点で言えば、負のエネルギーを大量に生み出すデバイスは存在しませんし、原理的にも作れない可能性があります。もし未来のテクノロジーでそこが克服されたら大変な革命ですが、それはほとんど「新しい物理学の発見」を意味します。我々が現在知る範囲では、負のエネルギーは微弱で一時的なものだけです。タイムトラベル装置を作るにはこの壁を突破しなければならず、それができないなら机上の空論に留まります。未来人が現れない背景には、「そういった反重力じみた特殊物質を作る技術など持ち合わせていない」という当たり前の理由があるのかもしれません。以上、エネルギー・材料・安定性の各面でタイムトラベル実現がいかに困難かを見てきました。突き詰めれば、現在の物理法則の範囲内では人類が過去に行けるデバイスを作ることは到底不可能であり、未来の人類もよほどのブレークスルーが無い限り同様でしょう。タイムマシンが作れないなら未来人は過去に来れないのですから、我々が会えないのも当然です。技術論はシンプルで力強い結論を与えてくれます。それは、「出来ないから来ない」という身も蓋もない事実です。逆に言えば、もし明日突然未来人が現れたなら、それは我々の物理・工学の常識を覆す新発見があった証拠とも言えるでしょう。
「現れない」理由のシナリオ別整理と検証可能性

ここまで様々な角度から「なぜ未来人(未来のタイムトラベラー)が我々の元に現れないのか」を論じてきました。その理由は一つではなく、多岐にわたる可能性があります。本セクションでは、それらのシナリオをいくつかに整理し、どの程度検証可能かを考えてみます。簡潔に言えば、「来ないのではなく来ているが気付かない」という可能性と、「本当に来ていない」という可能性に大別されます。
多世界分岐・観測選択バイアス・倫理的不可視化仮説

シナリオA: 多世界解釈によるタイムトラベル – もしタイムトラベルが量子力学の多世界解釈(エヴェレットの多世界)に従って行われるなら、タイムトラベラーは我々の宇宙ではなく並行宇宙に過去移動する可能性があります[62][63]。先述したように、ワームホールを使った時間旅行では、「過去に戻った粒子は自分のいた宇宙ではなく平行宇宙に出現する」といったシナリオが考えられます[63]。この場合、未来人は過去に行ったとしても我々の世界線とは異なる新たな分岐宇宙を形成し、我々の宇宙には現れないことになります。彼らから見れば確かに過去へ行ったのですが、それは元いた未来とは別の過去なのです。この多世界タイムトラベル仮説では、未来人が現れないのも当然で、彼らは来ていても別の世界に行っているだけだという説明になります。これは検証が非常に難しいシナリオです。我々は自分の宇宙しか観測できないため、「他の世界線には未来人がいるがこちらには来ていない」という状況を確かめようがありません。ただ、もしタイムトラベルが実現すると理論上は並行宇宙間での情報伝達が可能になるため、何らかの痕跡が観測される余地はゼロではないかもしれません。

シナリオB: 観測選択バイアス – これは人間原理的な発想ですが、もし過去へのタイムトラベルが論理矛盾や大混乱を引き起こすような性質のものだとすると、そうした矛盾が生じうる宇宙では知的生命が発展できなかったり、観測者が存在しない可能性があります。極端な例を言えば、誰かが過去に戻って歴史をめちゃくちゃにできるなら我々の文明はそもそも成立しなかったかもしれません。我々が安定した歴史を持ち平穏に存在しているのは、「タイムトラベルによる干渉が一度もなかった世界だけが観測者を許す」という観測バイアスが働いているから、とも考えられます。これはフェルミのパラドックスにおける「我々がいるから地球は特別」論にも似ており、証明や反証が難しい仮説です。だがもし将来タイムトラベルが可能になったとしても倫理的・論理的問題から誰も過去干渉を行わない世界線が選択される、というのはあり得る話ではあります。

シナリオC: 倫理的不可視化仮説 – 仮に未来人が過去へ来る技術を持っているとしても、意図的に姿を隠しているという可能性です。これはSFでしばしば語られるもので、タイムトラベラーたちは「過去への干渉は禁止」「原住民(過去の人類)に見つかってはならない」という厳格なルールを守っているというものです。いわばタイムトラベラー版の「非干渉法」です。例えば、『スタートレック』の時間旅行規程や他のSF作品で描かれるタイムパトロールの存在などがこの考えに当たります。もし未来人が歴史を変えないよう細心の注意を払いながら調査に来ているなら、我々が彼らに気づかないのも当然です。あるいは高度なステルス技術で完全に透明化・偽装しているかもしれませんし、下手をすれば我々の社会に溶け込んでいてもバレていないだけかもしれません。このシナリオはロマンがありますが、科学的検証はほぼ不可能です。強いて言えば、「本当にそうなら痕跡を何も残さないだろうから、我々に検知できないはず」というパラドックスめいた結論になります。

以上のA~Cは、「未来人は来ているかもしれないが我々には見えない」という立場です。しかし現実的には、今のところ未来人と思われる存在が歴史上確認されていない以上、そのような高度な隠密行動が成功しているか、あるいは最初から来ていないかのどちらかでしょう。多世界シナリオは理論上あり得ても証明困難、観測バイアスは哲学的すぎてテスト不能、倫理的不可視はもはや科学の範疇外です。この中で比較的検証しやすいものがあるとすれば、せいぜい「高度な存在が歴史に痕跡を一切残さないことなど可能か?」という議論くらいです。例えばUFOや未解明現象の中には未来人の偵察が紛れている可能性もゼロではないでしょう。しかしそれを確かめる術も根拠も現状ありません。
実験・観測によるテスト:社会実験から基礎物理まで

未来人来訪について現実に取られた実験や観測も存在します。ここではそれらを紹介し、結論を見てみましょう。まず冒頭でも触れたスティーヴン・ホーキングのタイムトラベラー招待パーティがあります。ホーキングは2009年6月28日にケンブリッジ大学でパーティ会場を用意し、誰にも告げず待機しました[33]。そして後日「2009年6月28日にパーティを開催した。未来のタイムトラベラー諸君、ぜひ来たまえ」と招待状を公表しました[33]。結果は誰も来訪せず、ホーキングは「これで証明された、時間旅行者はいない(少なくとも来なかった)」とユーモアを交えて語りました。この社会実験はもちろん決定的証拠ではありませんが、公開されている過去(招待状の存在が広まった後の過去)にすら誰も現れなかった点は興味深いものです[64]。未来で技術ができたらこの情報を見て来る人がいるかもしれませんが、今のところ追加の来訪報告もありません。ホーキングはこの結果を踏まえ、時間順序保護仮説を支持する立場を強めました。

次に、物理学者ロバート・ネメロフとテレサ・ウィルソンが行ったインターネット上のタイムトラベラー探しという研究があります。彼らは2013年に、インターネット上の情報から「その時点では知り得ない未来の出来事を知っていた形跡」を探す試みをしました[65]。具体的には、例えば「2010年のある時点より前に『Comet ISON』という単語が言及されているか」などをTwitterや検索エンジンのログで調べたのです。当時Comet ISON(アイソン彗星)は2012年に発見された彗星なので、もし2011年以前のツイートにその名前が出ていたら未来人の関与を疑えます。結果、そうした事例は一切見つかりませんでした[66]。また、「未来人が見ているなら返事して下さい」という電子メールやツイートを送り、その日時より過去の日付で返信が来るかなどの試みもしましたが、こちらも成果なしでした[65][66]。研究者らは「否定的結果はタイムトラベルを否定する証拠ではないが、インターネットという広範囲を探したこの試みは現時点で最も包括的な探索と言える」と述べています[66]。つまり、少なくともインターネット上に未来人の痕跡は見当たらなかったということです。

他にも、MITの学生グループが過去のインターネット掲示板投稿などを洗い出し、「例えば2006年に2010年の出来事を知っていた形跡がないか」などを調べたという報告もありますが、やはり特筆すべき証拠は得られていません。このように、「未来の情報が過去にリークされていないか」を大規模データから調べるアプローチはいくつか行われていますが[66]、今のところいずれも未来人発見には至っていないのです。物理的な実験では、先述した量子通信の範疇ですが、ワシントン大学のジョン・クレーマー教授が考案した「受信側で測定設定を変えると送信側の干渉縞が変化するか」という試みがありました。これはタイムトラベルというよりレトロカズアル(逆因果)的な通信の実験ですが、結果は明確な信号検出には至っていません。さらに2011年のOPERA実験で「ニュートリノが光速を超えたかも」という報告が一時話題になりましたが、これは実験誤差であり訂正されました[67]。もしあれが本当なら因果律が危ういところでしたが、結局自然は破綻を見せなかったわけです。こうした事例も、因果律は非常に頑強だと示唆しています。

まとめると、社会的実験(ホーキングのパーティ、インターネット検索)から物理実験まで、未来人や逆因果的信号の検出はいずれもゼロ回答でした。これは現時点で「未来人は少なくとも目立つ形では来ていない」と言えるでしょう[64]。また、仮に未来人がいつか現れるのであれば、それは「タイムマシンが最初に作られた以降の時代に限られる」という理論予測もあります[10][11]。つまり2050年にタイムマシンが初めて完成したなら、彼らは2050年より昔には来られないという制約です[68]。この考えに従えば、我々が未来人と遭遇できるチャンスがあるとすれば、それは人類がタイムマシンを発明した以降ということになります。現段階でその技術革新は起きていませんから、現れていなくて当然とも言えるでしょう(ニワトリが存在するのは卵が産まれた後であるのと同じ道理です)。
結論と今後の研究課題:何が分かり、どこまで検証できるか

本記事では、「なぜ未来人は現れないのか?」という問いに対して、物理法則、宇宙論、情報理論、工学的実現性、さらにはシナリオ分析まで多角的に考察してきました。その結果、以下のような結論と展望が得られました。第一に、因果律と物理法則の壁は想像以上に高いということです。時間逆行は相対論的因果構造に反し、自己矛盾パラドックスを生みます。ノビコフ自己無撞着原理がタイムトラベルを認めつつ整合性を保つシナリオを提示した一方で、ホーキングの時間順序保護仮説はそもそも自然は時間旅行を許さないと示唆します[29]。現状ではホーキングの仮説を支持する状況証拠(未来人未出現、時間逆行の未観測など)ばかりが揃っており、やはり過去改変は起きない(起こせない)と考えるのが妥当でしょう。

第二に、宇宙論的・熱力学的な制約もタイムトラベルを不利にしています。宇宙の地平線により物理的に到達できる領域・時代には限界がありますし、ブラックホール物理から導かれる情報の保存・上限原理は、過剰な因果ループを許しません。情報はタダでは得られず、計算コストは踏み倒せず、量子論も抜け穴を許していないことが分かりました。[16][17]。要するに、宇宙は都合よくできていないということです。未来の知識をただ享受できるような甘い状況は、自然法則がきっちり封じ込めているように見えます。第三に、工学的現実はさらに辛辣です。仮に理論的可能性があっても、ワームホールを安定化するには負のエネルギーという未知のリソースが必要であり、その量は天文学的です。現在知られる物理ではそれを生み出す手段はなく、関連する量子効果も極限的に小さいです[45][69]。時間旅行装置の開発は、エネルギー・材料・制御技術の面で壁だらけと言えます。これは今後100年200年の技術進歩でどうにかなるという次元ではなく、根本的に新しい物理学の発見が求められる領域でしょう。例えば負の質量物質や高次元空間の活用など、現代科学の枠外での革命が無い限り、タイムマシンは設計図すら描けない可能性が高いです。

第四に、未来人未出現について考え得るシナリオはほぼ検証済みか検証不能かの二極になっている点も挙げられます。観測の範囲内では、未来人の存在を示す手掛かり(ネット上の予知情報や時間逆行粒子の痕跡など)は発見されていません[66]。他方で、もし並行宇宙へ行ってしまっているなら証明しようがなく、意図的に隠れているなら見つからなくて当然です。このように、「来ていない」証拠はいくらでも出せますが、「実は来ている」ことを証明するのは極めて困難です。結局、今のところオッカムの剃刀に従えば「未来人は来ていない(あるいは来れない)」と判断するのが合理的と言えるでしょう。

では、今後の研究課題は何でしょうか?まず、タイムトラベルの問題は量子重力理論の完成とも深く関係します。閉じた時間的曲線の是非や時間順序保護の原理が本当に成り立つかは、量子論と重力を統一する理論(例えばホログラフィック原理や弦理論の確立)によって明らかになる可能性があります[70]。この分野の進展は、タイムトラベルが物理的に許されるか永久に禁止かを決定づけるでしょう。

情報理論的観点でも、ブラックホール情報問題などとの関連で「情報は決して失われない」ことがより強く確立されれば、過去へ情報が出現するような事態が矛盾することが裏付けられるでしょう。ランドアウアー原理などは既に実験で確認されていますが[71][15]、これを極限状況(高速や強重力環境下)で検証する研究も考えられます。工学面では、負のエネルギーの効果を拡大する研究は今後も行われるでしょう。量子真空の制御やメタマテリアルの開発によって、カシミール効果を増幅する試みなどは考えられます。これ自体はタイムマシンでなくとも反重力装置など画期的技術につながる可能性があるため、基礎研究として意義があります。ただし現時点ではこちらも前途多難です。

最後に、人類にとってタイムトラベルの研究は単なるSF的好奇心ではなく、因果律や時空の本質に迫る重要な試金石です。未来人が現れない理由を解明する過程で、我々は宇宙の根本原理について多くを学びました。因果律の堅牢さ、情報と物理法則の深い関係、エネルギーと時空構造の極限――これらはすべて、タイムトラベルという問いから得られた副産物です。今後もこの分野の研究は、「できるかどうか」以上に「なぜできないのか」「できると仮定すると何が起こるのか」を明らかにしていくでしょう。それは物理学の理解を深めると同時に、SFの世界との架橋を担う魅力的な挑戦です。結論として現時点で言えるのは、「未来人が我々の前に姿を見せないのは驚くことではない」ということです。

時間旅行の壁は想像以上に厚く、いくつもの異なる視点から同じ結論――「過去はそう簡単には書き換えられない」――が浮かび上がります[64]。もっとも、科学とは常に新発見の可能性を孕んでいます。我々が認識していない抜け道や、技術的飛躍が将来生まれるかもしれません。しかし、それが起きるまでは歴史書に書かれた通りの過去と、予測不可能な未来を地道に積み重ねていくほかないでしょう。時間の流れは今日も一方向に進んでおり、少なくとも今この瞬間においては、未来からの訪問者はどこにも見当たらないのです[72][73]。