ブラックホールはワームホールである──そんな一見SFのような仮説に、近年科学的な根拠が加わりつつあります[1]。つまりブラックホールが実は宇宙空間の別の場所(あるいは別の宇宙)へ通じるトンネルの入口ではないかという可能性です。宇宙や未知の現象に好奇心を抱く人々にとって、このテーマは非常に魅力的でしょう。そこで本記事では、ブラックホールとワームホールの基礎から最新研究までを解説し、本当に「ブラックホール=ワームホール」があり得るのか、その証拠や理論を探っていきます。
ブラックホールとは何か

ブラックホールとは、極めて大きな質量が極限まで凝縮した結果、重力が非常に強くなり光ですら脱出できなくなった天体です[2]。簡単に言えば、光も逃げられない「黒い穴」のように振る舞うため、こう呼ばれています。その境界面は「事象の地平面」(イベントホライズン)と呼ばれ、一度この内側に入った物質や光は二度と外へ出られません。
ブラックホールと一般相対性理論

ブラックホールは一般相対性理論によってその存在が予言され、宇宙に多数存在すると考えられています。形成される典型的な例は、太陽の数倍以上の質量を持つ恒星が寿命を迎えて超新星爆発を起こした後、自身の重力で一点に潰れたときです。そのようにして生まれたブラックホールは恒星質量ブラックホールと呼ばれます。また銀河の中心には太陽の数百万~数十億倍もの質量をもつ超大質量ブラックホールが存在し、周囲の星の動きや高エネルギーの放射(ジェット)など間接的な観測によって存在が確認されています。
特異点

ブラックホールの内部には「特異点」と呼ばれる領域が存在するとされます。これは密度が無限大に発散し、現在の物理法則では挙動を説明できなくなる地点です。このようにブラックホールは物理学の極限であり、その内部で何が起きているのかは大きな謎です。こうした謎を解き明かす鍵として、「実は特異点の代わりに他の宇宙や遠く離れた場所へ通じる抜け穴になっているのではないか」との仮説、すなわちワームホール説が考えられているのです。
ブラックホールの存在

特に21世紀に入ってから、ブラックホールの存在を裏付ける観測が次々となされています。2015年にはブラックホール同士の合体で生じた重力波が初めて検出され、2019年には銀河M87の中心にある巨大ブラックホールの「影」(事象の地平面付近の輪郭)を世界各地の電波望遠鏡を組み合わせることで直接撮影することにも成功しました。こうした観測により、ブラックホールが現実に存在する天体現象であることが確立しています。
ワームホールとは何か

ワームホールとは、時空の異なる2点をつなぐ架空のトンネルのようなものです。例えば地球と銀河系の彼方がトンネルで直結されているようなイメージで、理論上はこの中を通り抜けて遠く離れた場所へ一瞬で移動できる可能性があります[3]。しかし現時点ではワームホールは完全に仮説上の存在であり、現実の宇宙で観測されたことは一度もありません[4]。
空間の極端な歪み

このワームホールという概念は、一般相対性理論が示す空間の極端な歪みの一つとして提唱されました。提唱者の一人はアルベルト・アインシュタインで、同僚のネイサン・ローゼンとともに考案した「アインシュタイン=ローゼン橋」と呼ばれる時空構造モデルがその原型です[5]。これは二つの宇宙(または宇宙の異なる領域)をつなぐトンネルのような解で、数学的には可能ですが安定に維持するには「負のエネルギー」という特殊な条件が必要でした[6]。負のエネルギーとは通常とは逆符号のエネルギー密度のことで、時空を内側から押し広げてトンネルの崩壊を防ぐ効果があります[7]。一見架空の概念に思えますが、実はごく微量であれば実験的に生成に成功しており、宇宙の加速膨張を引き起こす力である可能性も指摘されています[8]。
ワームホールは理論上は存在

要するにワームホールは理論上は存在し得るものの、負のエネルギーなど特殊な条件が揃わない限り長時間安定せず、人や物が安全に通り抜けるのはきわめて困難だと考えられています。また現在まで確実な観測例がないため、ワームホールの存在自体がまだ証明されていません。なお、ワームホールの一端はブラックホールのように物質を吸い込み、他端は「ホワイトホール(白い穴)」として物質を噴き出す出口になるというシナリオも考えられています。しかしホワイトホールは未だ一度も観測されたことがなく、数学的に存在が許されるに過ぎない仮説上の天体です[9]。
ブラックホールがワームホールであるという仮説

それでは、ブラックホールが実際にワームホールである可能性はあるのでしょうか。この考え自体は以前から存在し、実は何十年にもわたって議論されてきたテーマです[10]。宇宙で観測される現象の中でもブラックホールは特に極端な時空の歪みを生じる存在であり、もしワームホールが宇宙のどこかに実在するとすれば、その正体はブラックホールにほかならないのではないかと考える研究者もいます[11]。
ホワイトホール
理論的には、一般相対性理論の枠内でブラックホール解を拡張すると、時間的に反転した「ホワイトホール」と対を成すワームホール解が導かれることが知られています(前述のアインシュタイン=ローゼン橋)。ただし通常のブラックホール形成過程ではホワイトホールは現れないと考えられ、こうした解はあくまで理想化された数学的モデルです。それでも、「ブラックホールの内部には実は別宇宙へと通じる出口があり、そこにつながるホワイトホールが存在するのではないか」といったアイデアは、一部の科学者やSF作品によって繰り返し取り上げられてきました。
量子論と重力理論の統一
近年では、この仮説をより真剣に検証しようという動きもあります。例えば2021年の研究では「ワームホールはブラックホールの中に隠されており、それが量子力学と一般相対性理論をつなぐ鍵になるかもしれない」との主張がなされています[10]。量子論と重力理論の統一は物理学最大の難問ですが、ワームホールという奇抜な概念がその架け橋になる可能性が示唆され、注目を集めました。
ブラックホール=ワームホール説
さらに、近年の複数の理論研究がこの仮説を検討しています。例えば2021年の別の仮説では、クエーサーなどの活動銀河核(AGN)は超大質量ブラックホールではなくワームホールの入口なのではないかと議論されました。また2022年にはブルガリアの研究チームが「ワームホールに付随する物質円盤からの光は静的ブラックホールの場合とほぼ同一であり、観測では見分けがつかないだろう」とする解析結果を報告しています[12]。このようにブラックホール=ワームホール説は長年にわたり論じられ、近年になって科学的にも徐々にその可能性が模索され始めているのです。
観測による検証と最新研究

ブラックホールがワームホールであるかどうかを確かめる決定的な証拠を得るには、観測によって両者の違いを捉える必要があります。しかし、その道のりは平坦ではありません。理論上、ワームホールは観測データだけではブラックホールと区別がつかないほどよく似た振る舞いを示す可能性があるからです[13]。それでも科学者たちは様々な方法で両者を見分ける手がかりを模索してきました。ここでは振動(重力波)と高エネルギー放射(ガンマ線)という二つの観測面からの最新研究を見てみましょう。
ブラックホール振動(準正規モード)の解析研究
2025年の研究(イタリア・ナポリ大学など)では、ブラックホールが実際にワームホールかどうかを理論的に検証するための解析が行われました。この研究チームは、回転も電荷もない静的なブラックホール(シュヴァルツシルト・ブラックホール)を仮定し、外部から擾乱(ゆらぎ)が加わった際に生じる時空の振動(準正規モード)を計算しました[14]。そして得られた振動の減衰パターンをワームホールの場合と比較したところ、両者はほぼ同一であることが判明したのです[13]。つまり仮にブラックホールがワームホールだったとしても、外部から観測する限り通常のブラックホールと区別がつかない可能性が示されたといえます。
エキゾチックなコンパクト天体
実際、論文の著者らも「エキゾチックなコンパクト天体(一般相対性理論の常識を超えた天体)は理論的には存在し得るが、そうした天体が未だ検出されていないのは、ブラックホールの観測特徴を極めて巧妙に模倣できるからかもしれない」と述べています[15]。この結果は、ブラックホールに酷似しつつも内部構造が異なる未知の天体(ワームホールなど)が宇宙に潜んでいる可能性を示唆するものです。
ガンマ線によるワームホール識別の提案
ワームホールの存在をガンマ線で見極めるアイデアも提案されています。ある理論研究では、ワームホールに物質が落ち込む際に、出口側から噴き出そうとする物質と衝突して巨大なガンマ線バースト(爆発的なガンマ線放射)が発生すると計算されました[16]。もしそのような現象を観測できれば、それがワームホールの存在証明になると考えられます。
ガンマ線の放射パターン
さらにこの研究によれば、ガンマ線の放射パターンにも違いが現れる可能性があります。通常のブラックホールではガンマ線は比較的少量しか発生せず、極方向に噴き出すジェットとして放射されると考えられています。一方でワームホールであれば、ガンマ線は巨大な球状の領域内部に閉じ込められてしまうだろうと予測されました[17]。この違いが観測できれば、ブラックホールとワームホールを区別する手がかりになるかもしれません。
ブラックホールがワームホールだった場合の影響

仮にブラックホールが本当にワームホールだった場合、我々人類や探査機がそれを通り抜けて別の宇宙や銀河へ移動できるのでしょうか。この問いに対する答えは、残念ながら現時点では否定的です。自然に存在し得るワームホールは非常に不安定だと考えられており、十分な「負のエネルギー」で喉元を保持しない限り、何かが通過しようとした瞬間に崩壊してしまうと予想されます[7]。つまり理論上は可能でも、実際にブラックホール(ワームホール)の中に入って生還するのは極めて困難なのです。加えて、ブラックホールの入口付近では重力による潮汐力や高熱の放射が凄まじく、仮にワームホールの通路が存在しても、そこに辿り着く前に物質は引き伸ばされ(いわゆる「スパゲッティ化」)崩壊してしまうでしょう。
量子力学と重力理論を結びつける鍵
一方で、ブラックホールがワームホールであるという事実は、宇宙論や理論物理学において画期的な意味を持ちます。先に触れたように、ワームホールは量子力学と重力理論を結びつける鍵となるかもしれないからです[10]。また、ブラックホール内部の情報は消えてしまうという「情報パラドックス」という問題に対しても、もし情報がワームホールを通じて別の場所へ抜けているのだとすれば矛盾が解消される可能性があります[18]。ワームホールの存在が確認されれば、物理学の根本原理の理解が大きく進展することになるでしょう。
“抜け穴”の存在
もっとも、仮に自然のワームホールが存在しても、それを通り抜けたり制御したりする技術は現状の人類には皆無であり、ブラックホール(ワームホール)はあくまで観測的・理論的な探究の対象です。しかし、宇宙の彼方へとつながるかもしれないこの”抜け穴”の存在に思いを馳せることは、私たちに宇宙と物理法則の深奥について新たな視点をもたらしてくれるでしょう。なお現時点では、ブラックホール=ワームホール説はあくまで仮説に過ぎませんが、将来的に観測技術が飛躍的に向上すれば、この仮説を検証できる日が来るかもしれません。
現在の科学的見解と今後

現時点で、ブラックホールがワームホールであるという説はあくまで仮説であり、確実な観測証拠は存在しません。多くの物理学者は「面白い可能性ではあるが、まだ証明されていない」と考えており、ブラックホールは基本的に従来通りブラックホールとして扱われています。それでも前述のように、この仮説を検証しようという最先端の研究が進められており、今後の展開次第では科学教科書を書き換えるような大発見につながる可能性も否定できません。
これからの期待
実際、研究者たちは次世代の観測でワームホールの兆候を見つけられるかもしれないと期待しています。例えばある研究では、銀河中心にもしワームホールが存在すれば「向こう側」から漏れ出る重力の影響で周囲の星の軌道にごくわずかな乱れが生じるはずだと予測されました[19]。そして、近い将来に観測機器の性能がもう少し向上すれば、そのような影響を検出できる可能性があるといいます[19]。また別の見解では、「ワームホールの発見も間もなくだろう」と楽観的に予測する研究者もいます[20]。
人類がその答えを手にする日
とはいえ、現状ではブラックホールがワームホールである可能性は“あるかもしれないが確認されていない”段階です。確たる証拠が見つかるまでは、ブラックホールはブラックホールとして受け止めるのが科学界の共通認識でしょう。しかしこのテーマは人々の好奇心を大いに刺激し、宇宙や物理の根幹に関わる重要な問いでもあります。今後の研究と観測の進展によって、いつの日か「ブラックホールの正体はワームホールだった」と判明する可能性もゼロではありません。その日が来るならば、私たちの宇宙観は一変することでしょう。いずれにせよ、ブラックホールとワームホールの関係にまつわる謎は、今後も探求が続けられていくでしょう。私たち人類がその答えを手にする日が来るのを、期待して待ちたいと思います。