地質学では通常、古い地層は下に、新しい地層は上に積み重なるものです。しかし北海の海底下で、この常識を覆す奇妙な地層構造が発見されました[1]。イギリスとノルウェーの共同研究チームが2025年に報告したこの発見は、北海の地下に「シンカイト(sinkite)」と名付けられた巨大な砂の層が存在するというものです[2]。シンカイト地層では、新しいはずの砂の堆積物が本来の位置から沈み込み、逆に古い堆積層がその上に乗るという逆転した順序で層が重なっています[3]。これは地質学的には非常に異例の現象で、これほど大規模な地層の逆転は観測史上最大級だとされています[4][5]。研究成果は2025年6月に学術誌『Communications Earth & Environment』に掲載され[6]、新発見の地層構造は「沈む(sink)+〜岩石に付ける接尾語(-ite)」から「シンカイト」と命名されました[7]。
シンカイト地層の発見と特徴

北海はイギリスやノルウェーに囲まれた浅い海域で、古くから石油・天然ガスの産出地として地質調査が進められてきた場所です[8]。今回、マンチェスター大学(英国)とノルウェーの研究機関のチームは、高解像度の3D地震探査データや岩石サンプルの分析によって、北海の海底下に無数の異常構造を発見しました。それらは埋没した巨大な砂丘のような形状をしており、確認された数は数百箇所にも上ります[9]。一つひとつの構造物は高さが数百メートル、幅が数キロメートル、長さが数十キロメートルにも及ぶ巨大なものです[10]。こうした構造は北海の広範囲に帯状に分布しており、まるで無数の砂丘が地下に埋め込まれているかのような様相を呈しています。
逆層序

研究チームはこの未知の構造に「シンカイト」と名付けました[7]。文字通り「沈む」という意味の英語 sink に岩石名を表す接尾語 -ite を組み合わせた造語で、重い砂層が下方へ沈み込んだ特徴を端的に表しています[11]。実際、シンカイトでは本来上にあるはずの新しい砂の層が下へ沈み込み、下にあるはずの古い堆積物が上に押し上げられていることが確認されています[3]。このように地層の新旧が逆転した状態は、専門的には「逆層序(reverse stratigraphy)」と呼ばれます[12]。逆層序自体は地質学や考古学の分野で知られている現象ですが、通常は断層運動や地すべりなど局所的な要因で生じる小規模な例がほとんどです。それが北海では数百におよぶ巨大構造として一挙に見つかったため、観測史上例のない特異な事例と評価されています[4][5]。なお、これらの構造の起源については従来、地すべり堆積物や下部から押し上げられた砂岩など様々な仮説が議論されてきましたが決定打はありませんでした[13]。長年謎に包まれていた海底下の砂丘群が、今回の発見によってシンカイトによる地層逆転現象だと初めて判明したのです。では、なぜこのような地層逆転が生じたのでしょうか。その形成メカニズムは、約1000万〜160万年前(後期中新世〜鮮新世)に起きた特殊な地質過程に起因していました。
シンカイト地層の形成メカニズム

続いてはシンカイトの発生メカニズムについて解説します。
砂層の液状化と沈降

シンカイト構造が形成されたのは、約1000万〜160万年前の後期中新世から鮮新世にかけてだと推定されています[14]。当時、この地域では地震活動や地下圧力の変動が起こり、それによって上部の砂質地層が液状化しました[14][15]。液状化した砂は泥状の流体のように振る舞い、海底の岩盤に生じていた亀裂や隙間を伝って下方へとしみ込むように沈み込んでいきました[16]。もともと砂は下層の泥よりも密度が高く重いため、重力的不安定によって下向きの力が働いたと考えられます[17]。こうして本来なら上部に留まるはずの新しい砂の層が下層へ潜り込んでしまったのです。沈降した砂はやがて再び固結し、地下深くに重い砂の塊(シンカイト)として残ることになりました。実際、地震探査データと岩石分析により、これら沈降した砂塊が周囲の砂岩層と化学組成が似通い、所々で亀裂を通じて繋がっていることが確認されています[18]。これはシンカイトを構成する砂が元は上部の堆積層に由来することを裏付ける証拠です。
ウーズ・ラフト層の浮上

砂が下に沈み込む際、その直下に存在していたより古い細粒な堆積層を押しのけました。押し上げられたのは、微小な海洋プランクトンなどの化石が長年にわたり蓄積して形成された泥質の堆積層です[19]。この層は「ウーズ・ラフト(ooze raft)」と呼ばれ、多孔質で比較的軽く固い性質を持っていました[19]。上から沈み込んできた重い砂に浮力で押される形で、ウーズ・ラフト層は上方へ移動し、結果的に砂層の上に古い泥の層が乗った状態になりました[20]。研究チームは、この浮き上がった泥の層に「フロウタイト(floatite)」という名称も与えています[21]。つまり、シンカイト構造では下に沈んだ砂(sinkite)と上に浮いた泥(floatite)が対になって地層を構成しているのです。その結果、年代的には古い泥の堆積物が上部に、新しい砂の堆積物が下部に位置するという逆転した地層が生み出されました。
シンカイト地層の地質学的意義

北海で発見されたシンカイト地層は、地質学における新たな現象の存在を示唆しています。マンチェスター大学のマッズ・フーセ教授は「今回の発見は、これほどの規模では確認されたことがない地質過程を明らかにしています」と指摘しています[22]。通常、地層がここまで大規模に上下ひっくり返ることは想定されておらず、この発見は従来の地質学の常識に一石を投じるものです。そもそも地層の逆転現象は、断層運動による地塊の転倒や地すべり堆積物の覆い被さりなど、局所的な力学過程で生じる場合が知られていました[23]。しかし、今回のように堆積層そのものの密度差と液状化を契機として、これほど大規模な逆転構造が形成された例は他になく、まさに前例のない地質現象と言えます。その規模は従来報告されていた逆層序の事例をはるかに上回っており、地下構造の多様性を改めて知らしめる発見となりました。実際、研究チームは「本研究は、流体や堆積物が地殻内で想定外の動きをすることを示している」[24]と述べており、長い地質時間の中で岩石や堆積物が我々の予想を超えて再配置されうることを示唆しています。言い換えれば、地下深部で起こりうる重力駆動型の地質プロセスについて、新たな知見がもたらされたと評価できるでしょう。
他のシンカイト

現在、研究チームはシンカイトのような逆転構造が他の地域にも存在するのか調査を続けています[25]。今後、世界中の他の海域でも詳細な地震探査データの解析を進め、類似の現象が起きていないか検証していくことが求められるでしょう。もし北海以外の地域でも同様の現象が見つかれば、海底下の地質構造に関する我々の理解を根本から見直す必要が出てくるかもしれません[25]。今回の発見は、数百万年という時間スケールで海底下に進行するダイナミックな地質現象の一端を解明したものでもあります。地球の深部には、まだ私たちの知らないドラマが潜んでいる可能性があると言えるでしょう。さらに、この知見は学術的な意義に留まらず、現代社会の技術分野にも影響を及ぼす可能性があります。特に、地球温暖化対策として注目される二酸化炭素の地下貯留(CCS)や石油・ガスなどエネルギー資源の探査において、シンカイト発見が持つ意味は極めて重要なのです。
シンカイト構造が二酸化炭素貯留や資源探査に与える影響

北海でのシンカイト発見は、地質学のみならず実用面でも大きな意味を持ちます。現在、地球温暖化対策の一環として、大気に放出する前に二酸化炭素を地下深部に封じ込めるCCS(Carbon Capture and Storage)技術の研究・実用化が進められています[26]。実際、北海では世界初の商業的なCO2海底貯留プロジェクトが開始されており、海底下地層に二酸化炭素を注入する試みが行われています[27]。こうした取り組みの成否は、地下構造が想定通りに安定し、CO2を長期にわたり閉じ込められるかどうかにかかっています。しかし、もし地下の層序や構造が予想と異なれば、貯留の安全性や効率に影響が及ぶ可能性があります[28]。今回明らかになったシンカイトの存在は、北海の地下構造が我々の予測とは異なる複雑さを持つことを示しており、CO2貯留計画のリスク評価において無視できない要素となります。研究チームを率いたフーセ教授も「シンカイトのような構造を理解することは、二酸化炭素の回収と貯蔵(CCS)におけるリスク管理に不可欠であり、地下の流体の動きを正しく評価するためにも重要だ」と強調しています[29]。地下にCO2を安全に封じ込めるには、シンカイト構造のようなイレギュラーな地質要因まで考慮に入れた詳細な評価が求められるでしょう。
エネルギー資源

また、エネルギー資源(石油や天然ガス)の探査・開発においても、シンカイト発見の影響は見逃せません。油田・ガス田の形成には、適切な貯留層(リザーバー)と蓋となる不透水層(シール)が必要ですが、地層構造が通常と異なれば、有望な貯留層の位置や規模を見誤る恐れがあります。例えば、重い砂層が沈降して軽い泥層が上昇しているような領域では、従来の地震探査データの解釈を修正し、シンカイト構造をマッピングすることが重要となるでしょう。そうした異常構造を見落とした場合、掘削時に予期せぬ地質リスク(想定外の高圧層や流体の噴出など)に直面する可能性もあります。最悪の場合、こうした予期せぬ地質構造が原因で掘削プロジェクトが破綻したり、環境汚染事故につながったりするリスクも否定できません。シンカイトの存在を踏まえることで、地下資源探査ではより正確な地質モデルの構築と、安全対策の強化が求められます。
まとめ

北海海底下で見つかった「シンカイト」は、若い砂層が下に沈み、古い珪質ウーズが上へ浮く“逆転層序”を示す巨大構造群です。数百に及ぶkm級の分布が確認され、形成は後期中新世〜鮮新世。CO₂の地下貯留(CCS)や油ガス探査の地質評価に重要な含意を持ちます。